今回は、大好きなディズニーアニメ『美女と野獣』(1991年制作)の物語始まり部分に抱くやるせなさを軽減させるために3つの案を検討します。
具体的には、『王子を野獣に変えた魔女の外見が美しかった』という設定から、外見(容姿)の美しい方が正義というメッセージが強く潜在意識にすり込まれそうというやるせなさです。
果たしてこのやるせなさは軽減させることができるのか?
それでは、検討スタートです!
やるせなさの正体を分析してみよう!
まず初めに、今回やるせなさの軽減を検討する箇所である、物語の始まりの設定を大まかに説明します。
ある寒い冬の日、ワガママで好き放題に育てられた王子の住む城に、物乞いの老婆が訪れて一晩泊めて欲しいとお願いします。
しかし王子は、やつれた醜い老婆の姿を見てその願いを断りました。
さらに老婆の「外見に騙されてはいけない。美は内面に宿るものだ。」と言う忠告にも耳をかさず、城から追い返そうとします。
するとその老婆の醜い姿は消え、たちまち美しい魔女の姿が現れました。
途端に、王子は態度を改めて許しを請いますが受け入れてもらえませんでした。
そして魔女は、「真実の愛を知って心を改めるなら元の姿に戻れる。」という呪いと共に、王子を醜い野獣の姿に変えてしまいます。
しかしこの先一体誰が、この恐ろしい見た目の王子を愛してくれるというのでしょうか…。
物語始まり部分の説明は以上です。
ここで魔女は、醜い老婆の姿で「外見に騙されてはいけない。美は内面に宿るものだ。」と忠告した後、美しい容姿に変身し、優しい心を持たず人を外見で判断する王子の傲慢さに罰を与えました。
この設定って、美しい容姿の魔女が「ほらね、言ったでしょ!」という立場にいますよね?
はい。
美人=正義(正しい、罰を与える側)という構図の完成です☆
「外見に騙されてはいけない」って言ってたのに…。
いや、美人=正義が悪いのでは無くて、醜い外見のままでは、=(イコール)正義にならなかった事がやるせないのです。
個人的に、やるせなさおよそ80%です。
ちなみに、収益を考えた映像作品に美しさや華やかさは重要だし、ディズニー作品には夢があって華やかなところが大好きなので、やるせなさ100%にはなりませんでした。(笑)
皆さんはどう感じますか?
やるせなさを軽減させてみよう!
それでは、この約80%のやるせなさを軽減するために、次の3つの案を検討してみましょう。
【検討1】小綺麗な老魔女に変身する
最初の検討はズバリ、『醜い老婆から身なりの整った老魔女の姿になる』です。
若返る必要も無く、容姿の造形も特別美しくなる必要もありません。
ただ、清潔感は出していきましょう。
これだけでも、道徳的なことを教えてくれそうな印象は出るのでは?
【検討2】順番を逆にして変身する
王子の態度の豹変ぶりを観ている側の私たちにわかりやすく見せるために、見た目の醜さと美しさという激的な対比が必要だった?
それなら2つ目の検討案は、『初めは美しい外見で現れた女性が、醜い魔女の姿を現した途端、王子が冷たい態度をとる様になったという豹変ぶりを表現する』のはどうですか?
この場合、王子を野獣に変えるのは醜い魔女です。
ですが、こうなると途端に、魔女が悪い魔女という印象になりませんか?
白雪姫やオズの魔法使いに出てくるような容姿の魔女。
これでは罰を与えられたというよりは、呪いにかけられたという感じになってしまいますね。
残念ながらこの設定はしっくりきません。
「外見に騙されてはいけない」とは言え、難しいですね。
【検討3】男性の魔法使いだったという設定にする
最後の検討案は、『訪問者が男性の魔法使いだったら?』です。
もちろんここでも、美男子に変身する必要はなく、身なりの整った魔法使いに変身します。
これでもいいような気がしますが、「真実の愛を知って心を改めるなら元の姿に戻れる。」という魔法をかける立場なので、ステレオタイプ的ですけど女性の方がいいのかな?という印象です。
まとめ
以上、ディズニーアニメ『美女と野獣』物語の始まり部分に関するやるせなさを軽減させるための案を3つ検討しました。
個人的には提案1『小綺麗な老魔女に変身する』が一番しっくりきました。
皆さんはどう思いますか?
私はこの記事を書いていて、また『美女と野獣』が観たくなったので今から観てきます☆
ではまたね!
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